『中学受験どっくす』のマナトです。
今回はコラム回をお送りしてみたいと思います。

突然ですが、

検索エンジンやAIが発達した世の中で、
知識勉強をする意味はあるのでしょうか?

調べたら済むことを覚えるのは無駄だ!
と考える方も多いのではないでしょうか。

私は「人生で何を大切にするか」次第だと考えます。

経済的な成功を収めることだけを考えるなら
知識勉強はあまり必要ないかもしれません。
逐一調べたり、詳しい人を頼ればよいからです。
調べてまとめるのに便利なAIも登場しました。
AIは膨大なアイデア出しまでやってくれます。

では、知識勉強意義とは何でしょうか。
今回はコラム回として、私の考えを書いてみます。

知識や思考を集合知やAIに託せる時代でも、
何かを学ぶこと、味わうことというのは、
生身の脳内で新たな知識を躍らせることであって、
その行為をリズミカルに愉しむためには、
わざわざ毎度毎度調べてなどいられません。
すなわち、知識のベースが学びの喜びを増やすのです。
現段階の技術では、読書で思索にふけっている時に
検索をするのはいかにも興醒めしてしまいますが、
ウェアラブルデバイスなどが発達して、
操作感覚がなくなってくると変わるかもしれませんね。

②気づきにしあわせを感じられる

先日、夜に露天風呂で見上げた星がとても綺麗でした。
それはオリオン座で、赤色と白色に輝く星がありました。
すぐにベテルギウスとリゲルだと分かりました。
ベテルギウスは俗説では「脇の下」という語源があり、
超新星爆発に近い老齢の星だとも知っていました。
最近は「星座表」などの便利なアプリもありますが、
露天風呂ですからスマホで調べることはできません。
こういった瞬間の気づきで幸せな気分に浸れるのは、
受験を通じて学んだ知識があるから、とも言えます。

例示した2つの人生に共通しているのは
「スマホを触らない瞬間に楽しめる人生か」という観点です。

もちろん、知識勉強は経済的成功にも貢献するでしょう。
学歴、試験耐性、やり抜く力などが得られるからです。

ただし、私が最も大切だと思う価値は、
上記のような、経済的な成功とは少し毛色の違ったものです。
集合知やAIが役割を増したからこそ、そこに行き着きました。

大人になってからも得ることはできるものですから、
中学受験の時期にしなくても、という考えはあると思います。
それは、それぞれの自由であり、人生プランです。
中受は知識を得るためだけにするものではないですしね。

頭の柔らかい時期に膨大な詰込みシャワーを浴びることで、
案外、その先ずっと残る知識ベースができるというのは、
色々な方が体験として喋っていることで、私もそう思います。

このあたりは今後も考察してみたいと思います。